医療機器や電子カルテに影響を与える電磁波はWIFIだけではありません。

江戸時代や明治時代初期のころはまだしも、現代の医療機関で電力を使わないで治療や診断ができることは少ないでしょう。明治28(1895)年のレントゲンによるX線の発見、そしてアイントホーフェンによる心電図の発明以後、医療機器は急速に電化を遂げてきました。その結果、現代の医療機関には電子機器があふれています。電子機器を用いると、電力の一部は電波(電磁波)となります。このような電磁波を含めて医療機関内には様々な電磁現象が生じえます。下の表はそれをまとめたものです。

 医療機関には、無線LAN(Wi-Fi)以外にも、電磁波の原因になるものがとてもたくさんあります。雷や電源は良く知られた問題です。また、医療従事者が帯電した結果生じる静電気もよくある問題です。その他にも、次のような例が報告されています。

  • テレビ放送の電波の影響で乳児モニタの警報が解除され、複数の乳児が死亡した
  • 盗難防止装置からの電磁界によりペースメーカが誤動作した

このように病室によく見られるテレビでさえ医療機器に影響を与えることがあるのです。 無線LAN(Wi-Fi)だけが、電磁波の原因ではないということをまず認識しておきましょう。

無線LAN(Wi-Fi)が絡む医療機器に与える影響については、3つの観点から考えることができると思います。

  1. Wi-Fiの電磁波がエネルギーとして医療機器に直接的影響を与える(医療機器の破壊)
  2. Wi-Fiの周波数による電波干渉(EMI)等による医療機器への間接的影響(ペースメーカの誤動作、心電図が乱れる等)
  3. 情報漏えいやウィルスによる影響

ここでは、物理的な影響という観点から①と②について特に考えてみます。

①の場合は電磁波攻撃のように医療機器を物理的に壊してしまう場合が想定されます。 これについては、防衛省にも情報があり、次のように書かれています。(下線を追加しました)

「電子攻撃」は、「相手の通信機器やレーダーに対して、より強力な電波や相手の電波をよそ おった電波を発射すること などにより、通信機器やレーダーから発せられる電波を妨害し、相手の通信や捜索といった能力を低減・無効化することとされる。この中には「高出力の電磁波(高出力レーザー、高出力マイクロ波など)による対象の物理的な破壊も「電子攻撃」に含まれる。

医療機器に限らず無線LAN(Wi-Fi)がこのような影響を与えることはほぼ不可能なのは、その電磁波の弱さからもわかりますが、医療機器に関しては、1997年時点でPHS以下の危険性しか無線LANにはない、ということを国が示しています[6a]。

②の医療機器に対する電波干渉などによる影響について、無線LANの影響はどうでしょうか?

医療機器は患者へのリスクの大きさに応じて次の4つのクラスに分類されています。もっともリスクが高いクラスIVに分類されているのが、心臓ペースメーカーです。心臓ペースメーカは「植込み型医療機器」の一種です。

ペースメーカは、不整脈が起こった時に自動的に微電圧によって一種の電気ショックを与えることにより心臓を正しく動かすための 装置 です。そのために心臓の動きを感知する電極が備えられていますが、この電極に外部から電磁波等によって起電力が誘起され、たまたま心電位と似ている場合、誤認識・誤動作の原因となります[4a] 。これを電磁干渉(EMI)と呼びます。かなり前にはX線がペースメーカに誤動作を起こさせるのではないかと言われたこともありました[4c] 。 

X線は無線LANの周波数の約1億倍もの周波数を持ったエネルギーの大きな電磁波[4cm]です。このような大きなエネルギーをもってしても、ペースメーカに誤動作をさせる 確率は大変低かったようです。

このような理由から、医療機器と電磁波との関係でEMIがないように規制がなされています。 平成30年にも総務省からガイドラインが出ています[5]。 その中で無線LANに関しては:

現時点で特段の注意をされていない植込み型医療機器の装着者は、無線LAN機器に対しては特別の注意は必要としない。

となっております。(ただし、スマートフォンなどで無線LAN機能がついているものは、携帯電話と同じ注意が必要となっており、国際規格に従って15cm程度以上離すこととしています。)

ここの国際規格とは、ISO14117 です。このように無線LAN(Wi-Fi)そのものは、クラスIVの最も注意を要する医療機器についても特別の注意は必要ない、とされてい ます。

医療機関での電磁両立性(EMC)について

上記のように直接的・間接的に電磁エネルギーによる障害(EMIを含む)を受けたり与えたりすることがないようにすることを一般に電磁環境適合性とか電磁両立性(英語ではElectro-Magnetic Compatibility:EMC)と言います。 上で紹介したISO国際規格は、植込み型医療機器に関するEMC規格です。

EMCは、医療に限りません。飛行機の中や自動車の中でもEMCは重要ですし、オフィスや、工場、そして一般家庭でもテレビなどを含めて電磁波があるところは(有線か無線かを問わず)どこでも関係すると言って良いでしょう。国際的には、CISPR(国際無線障害特別委員会)[5b] という団体が、国連の専門機関であるITU(国際電気通信連合)やICAO(国際民間航空機関)と密接に協力して勧告を出しています[4b] 。これらは当然、日本国内でも標準として反映されています[5a]。

医療分野では、 厚生労働省の2020年7月17日付け「医薬品・医療機器等安全性情報374号」の中で、次のようにEMC国内基準を満たすことが医療機器に要求されています[6] 。

医療機器については、電磁両立性(Electromagnetic Compatibility,以下「EMC」という。)つまり、医療機器が他の電波利用機器から受ける影響を許容可能とするレベルの耐性を持つとともに、医療機器の内部から放射される電磁波が他の電子機器へ与える影響を許容できるレベルまで最小化する性能を持つ必要があります。電磁両立性については、各国においても広く認識されており、また医療機器として求められる要求事項をまとめた国際規格であるIEC60601-1-2が制定されています。  

我が国では、医療機器の承認又は認証を取得する際には、「医薬品,医療機器等の品質,有効性及び安全性の確保等に関する法律」 (以下、「医薬品医療機器等法」という。)において定められた医療機器の許認可の基準1)として、IEC60601-1-2の国内へ導入した規格であるJIS T0601-1-2への適合性を持つことが求められています2)

「医療機器が他の電波利用機器から受ける影響を許容可能とするレベルの耐性を持つ」ことをイミュニティと呼び、 「医療機器の内部から放射される電磁波が他の電子機器へ与える影響を許容できるレベルまで最小化する性能」 をエミッションと呼びます。

ここで上がっている国際標準IEC60601とは、国際電気標準会議(IEC=International Electrotechnical Commission)が定めた医療用を目的とした電気機器の安全性を定める一連の技術規格です。その中では、電源を始め様々な電気機器についての勧告がなされています。 IECでは、1998年の時点ですでに
「医療機器EMCとしては Bluetoothや無線LAN(2.45GHz帯)等が病院内に導入されることは必至と見て、いち早く2.5GHzとしている」ことが報告されています[7]。

以上のことから、簡単に言うと(電子)医療機器は、Wi-Fi(無線LAN)等から受ける電磁的影響に対して耐性(イミュニティ)をもつこと、そしてWi-Fiを使った機材に対して与える影響(エミッション)を最小限にすることの両方が求められており、それが国際標準IEC60601-1-2(その日本版がJIS T0601-1-2)に準拠することで満たされるとされる、ということです。 日本で使われている医療機器は原則としてすでにWi-Fi(無線LAN)への耐性がある、ということになります[8]。  

このように医療機器自体が病院内の電磁波環境に適用できるように規格化されています。このことから、きちんとした基準を満たした医療機器はWi-Fiから悪影響を受ける可能性が低い、と言えるでしょう。
さらに、付け加えると日本の医療機器の70%前後は輸入されております。特にペースメーカなどは輸入品が大部分と言われています。欧米ではすでに上にあげた医療機器のEMCが義務化されています。つまり日本に輸入されている医療機器はすでにEMCの点で 無線LAN(Wi-Fi)には影響を受けないように製造されていることになります。そう言った観点からも医療機器が無線LAN(Wi-Fi)から影響を受けたり、影響を与えたりすることは考えずらいです。
逆に言うと、無線LAN(Wi-Fi)から影響を受けてしまうことがわかっているような電子機器は医療機器として認められない、ということになります。

電子カルテシステムについて

上記のように直接的、間接的に電磁エネルギーによる障害(EMIを含む)を受けたり与えたりすることがないようにすることを一般に電磁環境適合性とか電磁両立性(英語ではElectro-Magnetic Compatibility:EMC)と言います。上で紹介したISO国際規格は、植込み型医療機器に関するEMC規格です。

電子カルテシステムについては状況はもう少し複雑です。その理由は、まず「電子カルテシステム」が何を指すかが曖昧だからです。 一般社団法人「保健医療福祉情報システム工業会 (JAHIS)」 の「医療情報システムの患者安全に関するリスクマネジメントガイド<解説編>Ver.2.0」[15]によると「電子カルテシステムの範囲についてはベンダー毎に異なり画一的に定義することは出来ない」となっています。
また電子カルテシステムは現在医療機器としてはみなされていません。ですので、上記の厚労省通達にあるような医療EMCの規制対象になっていません。[9][10]このように電子カルテシステムの具体的な構成について医療機器のEMC規制は適用されません。

しかしながら情報機器として、電子カルテシステムも他の通信機器同様に一般的なEMC基準に適合することが求められています。 例えば、無線LAN(Wi-Fi)を通信機械室等で使用できるようにするために、国際連合のITUで(ITU-T)K.127[20]というEMC標準が勧告されています。国内の通信会社などは、この基準を適用しています。
情報機器のエミッション、イミュニティに関して、無線システムの場合は、ITUのK.136[20a]の標準が、有線システムの場合はK.137[20b]の標準がCISPRの規格[4b]に対応して勧告されています。これらは、電波法等の所掌以外のところを規定しています。
また、装置の近傍で無線機器が使用されることを想定した試験方法等については、IEC61000-4-3[20c]という国際標準があります。
ですので、一般的な情報機器として、電子カルテシステムにおいても、EMCについて、イミュニティとエミッションともに、当然配慮されていると思って良いでしょう。 このような理由から、電子カルテシステムが(医療機器も含めて)無線LAN(Wi-Fi)に影響を与えたり与えられたりすることは可能性としては低いと思われます。
電子カルテシステムの場合、問題発生の原因は、電磁波よりも、システムの複雑さに起因することが多いとされています。
「病院機能評価機構のアクシデント/インシデント事例においては、病院情報システムがマルチ ベンダー構成になっていることにより、システム間の情報伝達上のエラーや、マスタの不一致によるアクシデント/インシデントの事例が多数示されている。」(上記JAHIS資料[15]より)
無線LAN(Wi-Fi)が電子カルテに影響を与えたとされている事例が総務省総合通信局が主催する「医療機関における電波利用推進協議会」(電波環境協議会)のホームページに載っています[11] [12]。
以下にそれを書き出してみます:

以上の例を見ても分かるように、電子カルテシステムが動かなかった原因のほとんどが、設定の間違いだったり、管理されていないモバイルWi-Fi機器の持ち込みなど、Wi-Fiそのものが原因ではなく、機器の管理の仕方に問題があったと言えるでしょう。

病院での無線LANの使用について

最新の調査によると調査された病院のうち88.7%が無線LANを導入しています[1]。それらの病院のうち65.7%が医療情報システム用に無線LANを使っており、さらに75.4%が病院スタッフのインターネット接続に無線LANを使っていると回答しています。病院の医療情報システムは外部のネットワークに接続しないことを原則としていますので、上記の2つの病院におけるネットワークは別々になっていると考えられます。つまり医療情報システム用に無線LANを使っている65.7%の病院の中には病院スタッフが無線LANでインターネット接続することを許していないところもあるでしょうし、病院スタッフがインターネット接続するために無線LANを使っている75.4%の病院の中には医療情報システムは有線であるものもあると思われます。

しかしながら、すでに相当数の病院が、無線LANを電子カルテ等にも使っていると同時に病院スタッフのインターネット接続にも使っているということが わかります。もし、無線LAN自体が医療機器や電子カルテシステムに悪影響を与えるなら、そもそも無線LANを使っている電子カルテシステムに接続する端末などが医療機器や電子カルテシステムに悪影響を与えることになってしまいます。

Wi-Fiを使った医療機器の存在

すでに市場にはWi-Fiを使った医療機器が出回っています。心電計のように日常的なモニターを可能にする機器は特にウェア ラブル機器として遠隔から患者の状態監視を可能とする有効な手段と考えられています[9a] ,[9b]。

このように医療現場ではすでに医療目的の無線LANの使用が広く行われています。患者に対して公開した場合だけ、電子カルテシステムなどに影響して無線LANが問題を起こす、ということは考えにくいと言えます。

適切なガイドラインに従ったWi-Fi運用の重要性

私たちは、無線LAN(Wi-Fi)が全ての病室の患者が無料で使える病院が提供できるように国が支援することを訴えています。 
その際に当然のこと ながら厚生労働省や総務省が定めたガイドライン[13]に従ってWi-Fiが設置運用されることをお願いしています 。
このような条件のもとであれば、Wi-Fiは医療機器に影響を与えないという報告はたくさんなされています。

すでに多くの医療機関が院内の情報システムの一環として無線LAN(Wi-Fi)を導入し、また医療機器自体が無線LAN(Wi-Fi)を利用している今、患者にもWi-Fiを提供することが、電子カルテシステムや医療機器に影響を与える、というのは、非常に可能性として低いことと言えます。

参考文献:

[01] 電波環境協議会「医療機関における電波利用推進委員会」(2021年) 『2020 年度医療機関における適正な電波利用推進に関する調査の結果』

[02] 平野知『医療機器と使用環境』

[03] 佐藤智典(2020年)『EMCとは何か』

[04] 令和2年版防衛白書(2020年)『第4節 電磁波領域をめぐる動向』

[05] 総務省(平成30年7月)『各種電波利用機器の電波が植込み型医療機器等へ及ぼす影響を防止するための指針』

[06] 厚生労働省「医薬品・医療機器等安全性情報374号」(令和2年)『携 帯電話端末等の電波に対する在宅医療向け医療機器の安全性の確保に関する取組み』

[06a] 厚生省(平成九年)『不要電波問題対策協議会の医用電気機器作業部会による「医用電気機器への電波の影響を防止するための携帯電話端末等の使用に関する指針」について』(平成九年三月二七日)(総第一八号・薬機第四八号)

[07] 谷川廣治(2003年)『医療機器の新しいEMC規格』

[08] CEND(科学情報出版)『医療機器(医用機器)のEMC試験とノイズ規格一覧・ノイズ対策』

[09] 増田智子(2014年)日経XTECH『単体ソフトウエアも医療機器に、利用拡大目指しルール整備2014年秋に“改正薬事法”が施行』

[10] 2017年9月20日『規制対象外のヘルスソフトウェア開発企業がリスクマネジメントを苦手とする理由』

[11] 電波環境協議会(2020年)『総務省総合通信局が主催する「医療機関における電波利用推進協議会」の公表事例集』

[12] 電波環境協議会(2020年)『令和元年度 医療機関における電波利活用推進のための取組事例集Ⅱ』

[13] 厚生労働省 医政安発0803第1号、薬生安発0803第1号、(令和3年 8月3日)電波環境協議会による『医療機関において安心・安全に電波を利用するための手引き(改訂版)(令和3年7月)について』

[14] 薬生機審発0301第1号(平成30年3月1日)『医療機器の電磁両立性に関する日本工業規格の改正の取扱いについて』

[15] (一社)保健医療福祉情報システム工業会 (JAHIS)『医療情報システムの患者安全に関するリスクマネジメントガイド<解説編>Ver.2.0』

[4a]一般社団法人電磁環境・電磁波防護製品評価協会(2019)『ペースメーカ・ICD等の電磁干渉に関する基礎知識』

[4c] 梅澤直樹、他·(2008年)「植込み型心臓ペースメーカに影響を及ぼす X線の照射条件の検討」 『日本放射線技術学会雑誌』

[4cm] 無線LAN(Wi-Fi)の周波数は2.4ギガヘルツ(2.4×109 Hz)か5ギガヘルツ(5×109 Hz)です。一方X線の周波数は30ペタヘルツから30エクサヘルツ(30×1015Hz〜30×1018Hz)です。107(=1000万)倍から1010(=100億)倍ほども無線LAN(Wi-Fi)よりも周波数が高いことになります。 電磁波のエネルギーは周波数の高さに比例します。

[5a] 総務省『国内答申されたCISPR規格』

[5b] 総務省『CISPRとは』

[4b]佐藤智典 (2017年)『CISPR32の概要(ed. 2)』

 

[16] IEC60601-1-2:2014 Medical electrical equipment – Part1-2: General requirements for basic safety and essential performance – Collateral Standard: Electromagnetic disturbances – Requirements and tests

[17] ISO14117 “Active implantable medical devices — Electromagnetic compatibility — EMC test protocols for implantable cardiac pacemakers, implantable cardioverter defibrillators and cardiac resynchronization devices”

[18] 日本工業規格JIST0601-1-2:2018『医用電気機器-第 1-2 部:基礎安全及び基本性能に関する一般要求事項-副通則:電磁妨害-要求事項及び試験(JIST0601-1-2:2018)』

[20] ITU-T Rec K.127 (2017) “Immunity requirements for telecommunication equipment in close proximity use of wireless devices”

[20a] ITU-T Rec K.136 (2018) “Electromagnetic compatibility requirements for radio telecommunication equipment”

[20b] ITU-T Rec K.137 (2018) “Electromagnetic compatibility requirements and measurement methods for wireline telecommunication network equipment”

[20c] IEC 61000-4-39:2017 Electromagnetic compatibility (EMC) – Part 4-39: Testing and measurement techniques – Radiated fields in close proximity – Immunity test

[9a] N. A. Abdul-Kadir et al. “A Portable WiFi ECG” (29 October 2018, IEEE)

[9b] SOCIONEXT モバイル心電計ソリューション